エッセイ

2019

「仙台インプログレス」の始まり(2019)

 2016年、フランスのポンピドゥー・センター・メスで『Under the water(アンダーザウォーター)』という作品を展示している時、せんだいメディアテークの関係者が来て、仙台でのプロジェクトの打診を受けた。このインスタレーションは、津波の被害のあと、多くの瓦礫が海に流され、太平洋を漂い、カナダの海岸線付近にまで膨大に漂っているという新聞の記事と写真から発想を受けて、生まれたものだった。それまでは、石巻や東北の海岸線での被害はフランスにも伝えられていたが、仙台市でも津波に被災したところがあることは知らなかった。  

翌2017年、仙台市の沿岸部に行き、いろんな人に出会い、そこから今回のプロジェクトのアイデアを作っていった。まず最初に思ったことは、一過性のイベント的なプロジェクトは、ここでは意味がないということだった。全長約10kmに及ぶ海岸線の内陸約700mの範囲は、人が住めない区域になり、ここでのアクティビティが、まだこれといって決まっていない状況だった。そこで、これらの区域のうち3つの地域(新浜、荒浜、井土浜)に焦点をあて、数年ごとに各地域に関わる長期的なプランを考え、まずは新浜地区から始めることになった。  

具体的には何も決めてはいなかった。ただそんなに簡単に何かをここに組み立てていくことだけは、しないでおこうと思った。なぜならば、それほどにこの地域の抱えている問題は、複雑に思えたからだ。何より一過性の客寄せ的なアートイベントをここに持ち込みたくなかった。  

現地で聞いた津波の時の話は、生々しかった。すでに被災から7年を向かえようとしているなか、自分たちは、部外者の立場で、関わることを決めた。そうでなければ現場の生々しい言葉に、押し潰されて、何ら新しいことが出来なくなるような気がした。部外者ということで、津波の被害のこともよく知らない外国人が、たまたま仙台に来たという設定を作ろうと思った。当時、パリの美術学校で教鞭をとっていたので、学生をここでのワークショップに誘った。彼らは何も知らないフランス人で、日本に行けるということだけで、ウキウキ気分で参加してくれた。実際、彼らは現場の過去の悲惨な状況を聞いても、いまいちピンとこなかった。それよりも地元の人たちと一緒に何かを組み立てていくことを望んでおり、それが彼らの現在的な態度だった。  

現地の人の望んでいることは、津波で流された貞山運河に架かっていた橋を、もう一度再生して、海岸線まで歩いて行きたいと言うことだった。それで2年目からは、この橋の再生をメインにして、行政との交渉が始まった。同時に新浜地区で定期的に行われる貞山運河でのフットパスのイベントに参加するための船をみんなで作ることにした。外国人が作る船なので「黒船」になった。  

ここでのプロジェクトの特色は、夏場の現場制作もさることながら、それ以外の時期にも行政との打ち合わせや、毎夏の作業日程の調整など、同時進行的に様々な物事が行われることだった。今後も引き続き時間はかかるが、些細なことでもひとつずつ、毎回作品としての制作を、ここで地元の人たちと一緒に実現していきたいと思う。

(”KAWAMATA TADASHI SENDAI IN PROGRESS 2016-2020″記録冊子より転載)

川俣正
用語集