用語集

東日本大震災

2011年3月11日(14:46)に東北地方三陸沖を震源とし発生したマグニチュード9.0の巨大地震。あわせて大津波が発生し、東北地方沿岸部を中心に甚大な被害をもたらしました。仙台では、最大推定7.1mの津波が発生し、沿岸地域を襲いました。津波で大きな影響を受けた地域は災害危険区域に指定され、居住を制限されることになりました。 現在、仙台市のでは、住居以外の用途で跡地利用が進んでいます。

貞山運河

宮城県内にある阿武隈川から旧北上川まで総延長約49kmにわたる、長さが日本一の運河群のなかのひとつです。運河の開削は江戸時代から始まり、長い年月を経て独自の景観や文化が育まれてきました。仙台市エリアの貞山運河は、明治時代につくられ、そこに住む人々の日々のくらしを支えてきました。東日本大震災では、津波によって堤防や護岸が著しく破損し、運河に隣接する集落の多くの(ほとんどの)家が流出するなど、甚大な被害を受けました。それでも、この大切な歴史遺産を守り、かつての豊かな自然環境と美しい景観、そして人々の賑わいを取り戻そうと、地域住民とこの地域に関心を寄せる人とが連携しながら、さまざまな活動を展開しています。

貞山運河フォーラム

貞山運河倶楽部が主催して毎年開催されるフォーラム。貞山運河の歴史的価値や観光資源としてのあり方など、その活用方法について議論が交わされる機会となっています。

貞山運河倶楽部

歴史遺産の貞山運河を利活用し、地域の魅力向上に取り組む市民団体のひとつ。この団体は、運河周辺の町内会など、さまざまな団体と協力しながら、マップ作成やイベント開催などの活動により、市民にその魅力を伝えています。

馬船

昭和40年代までこの地域でつかわれていた運河を横断するための船。荷物を積んだ船は、ロープで引き寄せる方法で対岸へ渡ります。

貞山運河小屋めぐり

貞山運河倶楽部が主催して、2021年から行われているイベント。新浜みんなの家からスタートして貞山運河まで行くフットパスのイベントです。いくつもの小屋(ポイント)に立ち寄りながら自然や歴史を体感することができます。ポイントとなる小屋は、アーティストや地域住民、新浜(しんはま)に関わる人たちがつくったユニークなものです。

愛林碑

クロマツを主木とする新浜の海岸林は、戦前・戦後期の国営・県営による植林事業により、海岸の砂丘面に大きく拡大しました。集落北側北端の砂丘には、その経緯を伝える石碑「新浜海岸砂防林記念碑」(別称、愛林碑)が1953年12月に立てられています。住民による植林は、国から土地の払い下げを受けた地域の共有地で、砂防林組合事業として1942年に開始されました。碑文の裏面には、組合員の氏名が刻まれ、植林に関係した全戸の功績を現在に伝えています。(ふるさと新浜マップ2019より引用)

八大龍王碑

石碑は、1870年10月20日、海岸の砂丘陸側に海難防止・海上安全を祈願して立てられました。世話人3名のほか、献金に協力した多数の住民の名前が刻まれています。新浜では農業とともに、前海での鮃や鰯などの地引網漁が長く続いてきました。(ふるさと新浜マップ2019より引用)

汀沈釜湿地

岡田新浜地域の海辺、貞山運河の西側にある、被災後に手つかずのまま保全された後背湿地。沿岸部の湿地には、地名に「釜」がつく場所が多くあります。震災後の湿地では、多様な動植物が命をつなぎ、生態系がみるみる回復しています。震災のダメージとそこから立ち直る里浜の自然・文化を記録し、伝える場所として、地域住民や大学、関係機関とともに保全・利活用が続けられています。

汀沈稲荷社跡

新浜地区の貞山運河に面して、農業の神をまつる稲荷杜の祠と鳥居が建てられていました。が、東日本大震災の津波で流され、現在は基礎だけが残っています。稲荷杜は新浜地区だけでなく、隣接する荒浜地区の女性たちの信仰も集め、元旦に参詣される場所でもありました。

フットパス

岡田地区の新浜町内会が主催して、2017年から行われているイベント。森林や田園地帯、古い街並みなど、地域に昔からあるありのままの風景を楽しみながら歩くイギリス発祥のフットパスを使った活動のとおり、運河の渡し船の再現や、周辺の自然観察、海辺暮らしの体験など、さまざまなアクティビティを通して、地域の豊かな文化を伝える機会となっています。

新浜海辺の森

仙台市の沿岸部では、津波でなくなった松林を再生する取組が進められています。岡田新浜地区では、広葉樹の森をつくるために、たくさんの種類の広葉樹が植えられ、その場所は「新浜海辺の森」と名づけられました。

新浜のみんなの家

「みんなの家」は、建築家らが提唱し、東日本大震災の被災地で、家や仕事を失った人々が、再び立ち上がって新しい生活を回復するための拠点として、各地に建てられた施設です。第一号の「みんなの家」は、建築家・伊東豊雄らの設計で、くまもとアートポリスの支援事業として、仙台市内の公園にできた仮設住宅地につくられました。2016年の仮設住宅の解体後は、自宅を再建した仮設住宅の元住民が多く住まわれている新浜地区に移築されました。現在も、新浜の地域住民の憩いの場や、新浜を訪れる人たちの玄関口として多くの方々に利用されています。

海辺の図書館

仙台市荒浜地区にある本も建物もない図書館です。震災前の生活や文化を元住民から聴いたりしながらの「まちあるき」や、波の音が聴こえるベンチで読書や楽器の演奏をしたり、石窯ピザ作りやBBQを楽しんだりすることが、“本を読むように”体験できる図書館です。(「海辺の図書館」サイトより引用)

CDP skatepark & playground

2012年にオープンした、荒浜地区にあるスケートパーク兼プレイグラウンドです。オーナーの貴田さんが、津波で被害を受けて基礎だけが残った自宅跡地に少しずつ手を加えながら遊び場として運営しています。CDPは「カルペ・ディエム・パーク」の略。カルペ・ディエムとは「今を楽しむ」を意味するラテン語です。

震災遺構 仙台市立荒浜小学校

被災した校舎を保存し、震災や荒浜地域に関する資料とともに公開している施設。東日本大震災発生当時は、91人の児童が通っており、職員や住民らと合わせて320人が校舎に避難しました。学校は、2016年3月をもって閉校し、2017年5月から震災遺構として公開されており、元住民たちの拠り所となる活動の場としても利用されています。

震災遺構 仙台市荒浜地区住宅基礎

東日本大震災の津波によって浸食された地形や壊されてしまった住宅跡に残された住宅基礎。ありのままの様子を伝えるために、可能な限り手を加えない方針で整備されました。復旧・復興とともに変化していく地域の中で、かつての住宅や生活の記憶の一部が残る場所となっています。

荒浜移転まちづくり協議会

震災後、荒浜地区の元住民らで結成された市民団体。防災集団移転促進事業(通称、集団移転)を利用した、内陸部への移転を目指した活動を続けました。2015年までに、多くの移転希望者の内陸部への移転が実現し、同年に解散しています。

荒浜再生を願う会

2011年10月、荒浜地区の元住民らで結成され、2018年6月まで活動を続けた市民団体。当初は街の現地再建、2014年からは荒浜を再び人の集まる地域にすることを目指し、支援者やボランティアとともに海岸清掃や拠点「里海荒浜ロッジ」での交流に取り組んできました。

HOPE FOR project

仙台市の荒浜小学校や七郷中学校の卒業生と有志が中心となり場づくりを行うグループです。現在は震災遺構となった荒浜小学校で毎年3月11日にイベントを行っています。花の種を入れた風船を飛ばす追悼企画や音楽ライブの開催など、元住民だけでなく、荒浜地区を想う人々が集える場づくりに継続して取り組んでいます。

荒浜のめぐみキッチン

土曜日の朝早くから、荒浜で農作業をして朝ご飯を食べる活動や、イベントを開催する団体です。荒浜の「めぐみ」(農や漁、海や運河、地域文化)を題材にしたさまざまな体験を通じ、土地に根ざした地域文化や自然との向き合い方を楽しみながら学んでほしい。そして、「生きていく力」を養い、人生を豊かにしてほしい。そんな思いで、子どもも大人もみんなで楽しめるプログラムを考えています。(「荒浜のめぐみキッチン」サイトより引用)

荒浜夜の灯籠流し

死者の魂を弔うため、毎年、お盆の終わりに荒浜地区で行われている伝統行事。家庭毎に材料や形など違った灯籠があり、持ち寄って貞山運河に浮かべます。震災以降は、街灯がないなど安全面を考慮し、明るい時間帯に行われてきましたが、2018年に8年ぶりとなる夜の灯籠流しが復活しました。

海岸公園

仙台市の沿岸部にある大規模な公園です。岡田、荒浜、井戸、藤塚の4地区にそれぞれある公園の総称。震災後は、震災がれきの搬入場として利用されていましたが、2014年から復旧工事が開始され、2018年に全面利用再開となりました。野球場やパークゴルフ場、冒険広場(子供たちの遊び場)などのほか、震災後は、津波がきた時に避難するための丘が整備されています。

せんだい3.11メモリアル交流館

仙台市の震災伝承施設です。仙台市営地下鉄東西線の東端、荒井駅舎内にあります。(以下、施設サイトより)東日本大震災を知り学ぶための場であるとともに、津波により大きな被害を受けた仙台市東部沿岸地域への玄関口でもあります。交流スペースや展示室、スタジオといった機能を通じて、みんなで、震災や地域の記憶を語り継いでいくための場所です。

井土地区

仙台市若林区井土地区は、東日本大震災で発生した津波によって甚大な被害を受けたことから、当初は地区全体が災害危険区域となることが想定されていましたが、最終的には地区の大部分が災害危険区域から除外されて再建可能となりました。しかしながら、仙台市震災復興計画が策定された2011年11月の時点で多くの住民が安全な内陸部へと住居の移転を果たしており、103 世帯のうち井土地区に残ったのはわずか11世帯でした。井土町内会は存続したものの、居住者の高齢化に伴う井土地区の自治機能の低下や宅地跡地の荒廃化等、さまざまな課題が地区内に見られるようになりました。 (井土まちづくり情報局「井土の「今」を発信していきます!」より引用)

井土まちづくり推進委員会

2021年7月に震災前まで井土地区に暮らしていた住民が集まり、当地区の今後について積極的に、そして前向きに検討していくための住民団体「井土まちづくり推進委員会」が設立されました。かつて暮らしていた住民へのアンケート実施やお便りの発行をとおして、「ふるさと」としての井土の継承を多世代で考えていくための場づくりを始めました。 (井土まちづくり情報局「井土の「今」を発信していきます!」より引用)

新浜地区

仙台市宮城野区岡田の新浜地区は、東日本大震災で甚大な被害を受けましたが、町内会が復興の指針となるまちづくりの基本計画とアクションプランを独自にまとめ、現地再建を進めたことにより、仙台市で海に一番近い集落になりました。震災前に比べ居住者が減少したなか、災害に強いまちづくりを進めるとともに、さまざまな団体と連携し、地域の自然や歴史、文化などを活かした活動を行っています。