エッセイ

2019

「2つのズレ」

現代の橋の思想は、一口にいって、橋そのものをなくすことにある。自動車で通っていても、そこが橋の上であることを人に感じさせないような橋、たんに「道の延長」である橋、それが理想とされる。──『橋と日本人』p53 岩波新書

 このドキュメントブックに見られるように、まずは動きはじめ、そこから起こる反応を以てして少し先を見据え、進もうとするプロジェクト「仙台インプログレス」。地域の人々とのやりとりを経て、ものごとが少しずつ進められていくそのおおらかな流れにはどこか心地良ささえ漂う。アーティストが人々と出会い、少なからず状況に関わることから感じ、生み出されていくそのできごとは、考えてみると「効率」を優先する以前の古来より人々が活動する上での、ごく自然な流れのようにも思えてくる。  

翻って、現代における一般的な「事業(プロジェクト)」とは、動きだす前の慎重な検討を経て、目的をしっかり定めた上で、その達成に向けて全力が注がれていくことを指す。このプロジェクトへ自治体が主体的に関わり、進めていることからもわかるように、活動における根拠や効率、合理性などをあらかじめ示されなければ、ものごとは前進しない。その根元には、「橋」のとらえ方にズレもある。たとえば、文学の蓄積における「橋」は、ふたつの異なる世界、分断された世界をつなぐ象徴としての立場が与えられてきた。東日本大震災においては、恩恵よりも被害をもたらした海に向かうための「橋」が、いまあらためてわたしたちの暮らしのなかでどのような意味を持つのか。そのとらえ方をこそ、見いだしていくのがこのプロジェクトのひとつの目的なのかも知れない。

(”KAWAMATA TADASHI SENDAI IN PROGRESS 2016-2020″記録冊子より転載)

甲斐賢治(せんだいメディアテーク アーティスティック・ディレクター)
用語集